母親

私は長年両親と同居していました。母親が2か月程前、突然で亡くなりました。父親も突然亡くなり4年半経過します。

母親、亡くなる4か月ほど前に体調不良で救急車を呼び搬送しました。診断結果はコロナでしたが、ワクチンのおかげで翌日には体調は回復したようです。ただ元々足腰が弱く歩行が困難でした。数日寝たきりで、さらに足腰が弱まったようです。自力では立ち上がるのも無理になったようです。その結果、病院の方から特養の施設を紹介されました。

当時特養という言葉も知りませんでした。家の近くの特養を調べると入所待ちが多いようでしたが、紹介された特養はまだ空きがあり2週間ほど後に入居できました。ただ施設入居後、2か月少しで亡くなりました。

父親が亡くなった後、母親は基本、介護支援専門員の方に任せていました。なので同居はしていましが何をしていたのかは知りません。特養入居した後の方が特養の方から週数回の電話がありました。どうでもいい内容ばかりでいらいらしていました。

亡くなった日も食事をしなくなったので病院で診察するので来てほしいと特養から言われ付き添いました。母親とは朝少し話しました。特にいつもと変わりはないです。特養は病院付き添いはせず必ず家族を呼び出します(サラリーマンは無理だと思いますが)。

入院した夕方病院から電話があり、「心拍数が半分になった、至急来てほしい。」と。朝話したばかりで体調不良にも見えなかったので意味不明でした。とりあえず病院に向かい、入院している6階へエレベーターであがり、6階についたと同時に電話がなり、「たった今心肺が停止した」と。その場で唖然としていました。朝話したばかりだろうと・・。その後、嫁、弟などに電話しました。
親父の時もそうでしたが、弟は深夜といか早朝かけつけました。母親は帰りたかっただろう家に一晩安置しました。

特養には亡くなった深夜に電話しました。翌日、その翌日もなんの連絡もありません。個人的に特養には色々思う事があるので、市の特養を管理している部署に電話して報告書をまとめるように言いました。私はまとめさせる事が目的だったので報告書は弟にそのまま渡しました。

母親はまだまだ生きたかったのでしょうか。ただ施設暮らしは母親には無理だったようです。歩ければ放置状態ですが、いくらでも家にいてよかったのですが。。介護の方と嫁に任せきりでしたが。。

ifで考えれば色々あります。
特養などではなく自宅にいたら。入院した病院が違っていたら。。私が入院日を数日早めたら、母親は今でも生きていたかもしれません。私はどうすべきだったのでしょうか。。

私は近くで長年、親父、母親といたので良くも悪くも色々な思い出があります。長く離れたいた弟は何を思っているのでしょうか。弟の記憶と私の記憶は色々違うと思います。

永遠の命などなくいつかは亡くなります。いつが死亡適齢期なのでしょうか。人生100年。どこかのCMなのかどうか知りませんが、知っている限り100歳まで生きたものはいません。ほとんど80代です。もっと早く亡くなるものもいます。

私でもいつかは命尽きる時がきます。面倒なので嫁より早くその時を迎えたいですが・・。