人生運

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人生には運が重要だと思います。運はつかみ取りものだと思います。
人との出会いも運のたわものだと思います。なので色々なところに(なるべく)積極的に顔を出すようにしています。

自分が運がいいと思うのはまずは大学受験です。高校3年の11月迄なんとなく「国立行こう」と思い苦手な科目を稀に勉強していたのですが、基本苦手な事を避ける私はほとんど勉強などしていませんでした。12月に国立は絶対に無理と思い私立にしぼました。受験しようとした私立も模試は全て判定F(絶対に受からない)というものでした。模試は模試と割り切りあまり参考にはしませんでした。大晦日だけは神頼み感覚で勉強していたのを覚えています。それから得意な数学を中心に数学は医学部向けの難問を中心に1か月か2か月勉強していました。
よく覚えていますが、一番行きたかったところが初受験でした。数学ほぼわかりましたが図形を描くため分度器など持参するようにとあったらしいのですが、もっていかずフリーハンドで書きました。手ごたえはありました。その次は唯一合格した大学の受験です。なぜか偶々前日見た模擬問題と似たものが多数あったと記憶しています。物理も英語も何気にわかりました。受験時間の半分ほどで終わり、一校目の受験の採点をしていたのを覚えています。その他3校受けました。滑り止めのようなところはどこもありません。

2校目の合格発表があり、私は正規で受かりました。3校目以降その発表後だったのでもうやる気はありません。私のような性格には無理なのです。1校目は不合格でした。フリーハンドでなければ受かったかな・・・など思いました。ただ後々1校目は進級が難しく4年ではなく6年が平均だと聞き、行かなくてよかったという事になります。

なにせ当時は数学の点数が全てでした。今は数学の問題は少し考えると頭痛がするくらいまったくわかりません。微分、積分くらいであれば・・・わかるかもしれません。

模試のF判定を見事にくつがえしました。全てが運かもしれません。
大学入って友人ができ色々話していると多くが正規合格でない事を知り驚いたものです。今でも大学の友人とは年1回ほどあいます。

大学4年間は「地元」からの解放です。今まで無縁だった都内の遊び、今までにない世界も知りました。ほとんど大学いかずバイトしていたのでサラリーマン以上の収入はありましたが、月末には金がなくなっていました。何に消えたのかは記憶にありません。

高校時代の多くの友人は予備校に行きました。数回遊びに行くので予備校に行きました。当時誰でも入れたのです。それらを見て、私には浪人生活は無理で、運で1校大学受かった事は大きいと思いました。浪人生活していたらまともに勉強しただろうか・・そんな事私にはできるだろうか。。と何度も思いました。
高校時代で覚えているのは抜き打ちテストの成績上位者を張り出すのですが、私と数回数学が同率一位になったものがいます。彼は一浪して理科大、理学部数学科に入ったと風の便りに聞きました(当時この学部は超難関だと聞いた事があります)。今なにしているんだろうと稀に思いだします。高校時代で一番知りたいのそれです。私と正反対の感じでした。当然友人でもなかったので高校卒業して一度も会った事はありません。

就活も真面目に考えず、バイトのように入ってみなければわからないだろう。。と思いどこでもいいと思い、就活活動していました。当時のN〇Cの子会社の就活生向けの何かに行きました。これからの新人は「英語、コンピュータ、〇の3つが必要だ」と言っていたのを覚えています。3つ目は記憶にありません。全部できねーじゃんと当時の私は思いました。当時就活が不安になりました。その後N〇C本体の人とよく会いましたが。そんな3つできる人などみた事ありません。ひとつもできない人がほとんどです。就活、人事部かなにか知りませんが、言いたい事をいいやがるともよく思いました。

学校推薦で調布にあった会社に新卒入社しました。当時学校推薦は多かった覚えがあります。ただ成績順です。この会社もあのタイミング、あの時の環境で入ったものは神が与えた環境でした。私は就職面接で情報システム部のような事を言われたので、コンピュータはまったくできない事を素直に伝えました。配属されたら情報システム部でした。開き直り「4年間勉強しなかったんだからやるか」と思い色々学び始めました。どのタイミングかわかりませんが、なぜか当時の部長に認められ色々金のかかる講習に行かせてもらいました。聞いたら先輩がまだ参加した事がなく、2人目だとかいう高額なものにも参加しました。管理職だけの朝ミーティングもなぜか平社員で私だけ呼ばれたりしました(遅刻などしましたが・・)。部長以外どう思っていたのかは知りません。
ただこの部長、絶対君主みたいな感じでした。ある時、部内クーデターみたいな感じで追い出されました。追い出された後、次の部長は役員が連れてきた人です。私はこの部長に徹底的に嫌われました。サラリーマンなどそんなものだとこの時感じました。初めの部長に別段取り入ろうなど私は思ってもいなく、思ったとしてもできない性格です。

ただ初めの部長のままだったら私は退職などできなかったでしょう。そんな事言えるような感じではなかったのです。2人目の部長へは気などまったく使わらず、私は「いつでも辞めてやる!」が口癖でした。振り返るとそんな事は言うべきではないとわかりますが、当時まだ20代でした。

そして転職、色々あり現在に至ります。色々な人に出会いました。皆どうしているのかなーと稀に思います。

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